常祷院

 徳山藩祖毛利就隆が慶安3年(1650年)野上(旧徳山)に移住したころは、真言宗の宗祖弘法大師が建てられた多くの坊は、数百年の時を経てほどんどが廃絶していた。残っていた遠石八幡宮十二坊の一つ、常灯坊を館の裏山に移し、真言宗常祷院として毛利家の祈祷所とした。

 元禄13年(1700年)三代藩主元次の時、金剛山長久寺常祷院と改め、文化元年(1804年)八代藩主広鎮が再び祈年山常祷院と改称した。

岐山地区夢プラン's Ownd

史跡mapに連動する資料等、随時更新予定です。