焔硝倉(火薬保管倉庫)跡
慶応2年(1866年)の第二次長州征伐及び明治元年(1868年)の戊辰戦争などに使用された火薬の製造工場(工場長小川孫兵衛)が旧新南陽市富田にあったとされる。
そこで製造された火薬の保管倉庫が西一の井手水源地奥にあった。
昔は田地を挟んで二つの池があって水利がよく、奥地で隠し場所に適していたのでここに造られたと思われる。徳山藩はここから火薬を持ち出して、角場(清水町本城氏宅付近)で射撃の訓練をしていたようである。
焔硝倉に使われていた毛利家の家紋が入った棟瓦と敷石並びに、火薬の製造方法が書いてある巻き物を、野村氏(西一の井手)が保管している。
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