久保田白船句碑 動物園前
徳山動物園前に「蹲(うずくま)ればふきのたう」白船と彫ってある自然石の碑が建っている。白船は本名を周一といい、明治17年(1884年)熊毛郡平生町左合島に生まれた。
山口中学在学中から俳句を作り始め、のちに荻原井泉水の新傾向俳句誌「層雲」の同人として活躍した。
大正5年、子女の教育のため徳山に移住し、佐渡町(現本町)に文房具と書籍の店を開業、その傍ら「雑草の会」を主宰した。
白船は昭和16年に58歳で病没したが、遺著に「ふきのたう」がるある。
徳山動物園前に「蹲(うずくま)ればふきのたう」白船と彫ってある自然石の碑が建っている。白船は本名を周一といい、明治17年(1884年)熊毛郡平生町左合島に生まれた。
山口中学在学中から俳句を作り始め、のちに荻原井泉水の新傾向俳句誌「層雲」の同人として活躍した。
大正5年、子女の教育のため徳山に移住し、佐渡町(現本町)に文房具と書籍の店を開業、その傍ら「雑草の会」を主宰した。
白船は昭和16年に58歳で病没したが、遺著に「ふきのたう」がるある。
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