飯田先生旌功乃碑(飯田忠彦旌功乃碑)
飯田忠彦は、寛政10年(1798年)徳山藩士生田十蔵の二男として二番丁で生まれた勤王の志士である。江戸藩邸に勤務し、飯田氏の養子となり、大日本史にも比すべき大著「野史」の刊行を30有余年の長い年月を費やして達成した。
しかし、安政年間に尊王攘夷の急先鋒と思われ、拘置されたことに憤慨して割腹自殺した。時に63歳であった。
この碑は大正2年に氏の功績をたたえ、勢屯の大野直輔氏・今宿の金子正炳氏らが尽力され、有志の協力によって徳山公園内に建てられた。いまも動物園中央の「ひょうたん池」の所に、もとのまま建っている。
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