徳山藩館邸跡

 徳山藩は、元和3年(1617)に毛利輝元の次男就隆が、兄秀就から都濃郡の3万石余りを分知されたことに始まります。

 就隆は、初め館邸を下松に設けましたが、慶安元年(1648)に海陸交通の要所である野上村に館を移し、同3年、野上を改めて徳山と称しました。

 その後徳山は、藩の改易・再興を経て、明治4年(1871)に山口藩に合併するまで、九代およそ220年にわたり城下町として繁栄を続けました。

 天保7年(1836)に幕府から念願の「城主格」を許されると、館邸を「御城」と呼びました。文化会館はこの由緒ある地に建設されたものです。

                    周南市教育委員会

岐山地区夢プラン's Ownd

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